幕末から明治維新にかけて国のために殉死した水戸藩烈士。
そして大東亜戦争に至るまでの茨城県出身の御英霊。
併せて63,496柱が祀られている神社。
元々、常磐神社の境内にあった鎮魂社がはじまり。
幕末の混乱期に亡くなった水戸藩烈士と義のある他県の者合わせた約1800柱を祀っていた。
明治10年に社殿を造ったが、戦争を重ねて戦没者が増えたために移築。
偕楽園の桜山とよばれる地区に茨城縣護国神社として社殿を造営。
道路と鉄道と挟んだ偕楽園と隣接した場所にあり、橋で結ばれている。

高さ6mあるという立派な一の鳥居をくぐると長い階段がある。
社殿まで続く参道には、戦争の戦勝記念碑や慰霊碑などが並ぶ。

特攻隊顕彰碑。
茨城県から特別特攻隊として殉職っとなった英霊を顕彰した碑。
平成30年に造られたもので、比較的新しい。

ペリリュー島守備部隊鎮魂碑。
太平洋戦争中の1944年(昭和19年)9~11月にかけての戦い。
ペリリュー島はパラオ共和国にあり、アメリカ軍との陸上戦闘。
この戦いでは、日本最強と言われた水戸歩兵第2連隊が中核となって島の守備を行った。
日本軍はペリリュー島の島民をパラオ本島に避難させる。
その後、軍は70日あまり必死の抵抗を続けるも、戦闘力が違いすぎた。
日本軍は約10500名に対して、アメリカ軍は約48740名という圧倒的な差。
日本軍の生還者は数えるほどで、大半が戦死したという。

大東亜戦争記念碑。
天皇陛下御在位60年を奉祝して昭和61年に建立。
1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)まで続いた戦争。
中華民国・アメリカ・イギリス・フランス・オランダなどの連合軍との戦線。
一般的に「太平洋戦争」と言われることが多い。
1937年7月7日の盧溝橋事件をきっかけに始まった戦い。
1945年の日本敗戦に至るまで、甚大な被害を出した長期大戦争だ。
英霊の功績を称え、日本の永遠の平和を祈念して石碑が建てられた。


北征記功碑。
日露戦争において県内の戦死者・傷病者を祀った碑。
1904年(明治37年)から1905年(明治38年)、ロシア帝国との闘い。
歩兵第2連隊は日露戦争にも出征している。

桜の宮。
茨城縣護国神社の神紋は桜の花で、大和魂の象徴となっている。
御朱印には桜の花びらが描かれる。
後方に咲いているのは「ねがい桜」と名付けれられたソイヨシノ。
訪問した4月上旬はまだ咲き始めだったが、満開になったら美しく神社を彩るのだろう。
実は、この茨城縣護国神社。
昭和22年に桜山神社と改称したことがある。
第二次世界大戦で敗戦をした日本は、連合国軍から様々な面で圧力を受ける。
神道や神社も例外ではなかった。
靖国神社と全国の護国神社は祭祀禁止や土地譲渡の禁止の措置となる。
更に連合国軍は護国神社を廃止させる動きをみせたので、茨城縣護国神社は改称によって弾圧回避しようとした。
しかし、隣国の朝鮮戦争開戦により状況が変わったことで、護国神社が廃止されることはなかった。
昭和29年に再び茨城縣護国神社に復称。

しあわせ石。
願い事をしながら両手で撫でると、願い事が叶うらしい。
茨城縣護国神社は、幕末期から昭和にかけての戦争の痕跡が多く残されている。
私たちは日常の中で過去の戦争について思考を巡らす機会はあまりない。
書物の中の話だったり、テレビの中の出来事のように感じてしまう。
しかし、この地には本当に戦争があったことを教えてくれる。
多くの人たちが戦地に赴き、亡くなったことが形として残されている。
誰もいない境内で、現在の平和がいかに貴重で尊いものなのか、考えさせられた。
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