偕楽園

旅行

偕楽園は日本三名園の一つ。

あと2つ言えるかな?

偕楽園東門



偕楽園は1842年に水戸藩第9代藩主徳川斉昭(なりあき)によって造園。


次女
次女

徳川斉昭は、最期の将軍 徳川慶喜の実のお父さん



同じく徳川斉昭によって造られた水戸藩校 弘道館とは一対の施設。

弘道館で文武を修行し、心を休める場所として偕楽園を造園。

藩校に通う藩士だけでなく、領内の庶民へも解放した。

偕楽園と千波湖



園内から千波湖が見渡せ、美しい景色が広がっている。

江戸時代の人たちも、この景色を眺めていたのかな。

庭園とはいっても、子ども向けの公園とは全く違う。

遊具もないし、子どもが遊ぶ雰囲気ではない。

偕楽園



でも、我が家の二人は嬉しそうに動き回ってたよ。

とても広いし、誰もいない。

そう、園内には誰もいないのだ。

訪れたのは時期外れの朝6時。

開園と同時に入園したので、だだっ広い園内を独り占め。

しかも、開園から9時迄は入園無料。

大人320円 小人160円がタダになる💛

静寂の中で美しい景色を堪能。

そして江戸時代の様子を勝手に想像して、思いを馳せる。

早朝の偕楽園、オススメ。

偕楽園好文亭



この住宅のような建物は好文亭。

木造二層三階建てで、落ち着いた建物。

江戸時代にこんな立派な建築ができたとは。

詩歌・管弦の催しを通して、家中の人が休養をするための施設。

家臣たちの心身を労わる気持ちがあったことが伝わる。

徳川斉昭は、人を大事にする藩主だったのかもしれない。

「好文」というのは梅の異名。

「学問に親しめば梅が開き、学問を廃すれば梅の花が咲かなかった」

という中国の故事が名前の由来のようだ。

偕楽園の「偕楽」も中国の古典『孟子』の一説が由来。

「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能(よ)く楽しむなり」

から名付けられた。





偕楽園は、「陰」と「陽」の世界を意識して徳川斉昭が設計したと言われている。

静かで竹藪に囲まれた「陰」の世界

陽の光が降り注ぎ、梅の花が一面咲き誇る「陽」の世界

対局にあるその二つの世界を楽しめるのも偕楽園の魅力だ。

東門から入園して、梅の木が一面に広がっている庭園を歩み進めると好文亭が見える。

好文亭の入り口に向かうと竹が茂っていて、陽の光が差し込まずに薄暗くなる。

別の世界に踏み込んでしまったような、なんだか不安を掻き立てられるような…。

一気に景色が変わるのだ。







偕楽園の梅


偕楽園は梅がとても有名。

約100種3000本の梅が植えられ、2月下旬から3月中旬は水戸の梅まつりが開催される。

全国からお客さんが押し寄せて、大変な賑わいになるそうだ。

訪れたのは春休みだったので、残念ながら梅が散った後。

遅咲きの梅の花が少し残っている程度だった。

満開だったら圧巻だったのかも。



烈公梅



約100種ある梅の木の中でも有名な烈公梅。

徳川斉昭(烈公)の名前が付けられた種類。

花が散った後で残念。

次は満開の梅まつりのときに来てみたいな。






子連れ旅で大事なことの一つはお手洗い。

公園のトイレは暗い・汚い・臭いの3Kのところも多くて、困ることがある。

しかし、偕楽園のトイレは大丈夫。

園内に数カ所あり、新しさはまちまちだった。

偕楽園トイレ


写真の東門お手洗いは新しく、きれいに清掃されている。

外観からは一見トイレとはわからない造りで、景色に馴染んでいる。

ベビーカーでも入れる広さで、個室の数もたくさん。

明るいのでオバケもいなそう。

車椅子でも利用できる誰でもトイレも完備。

公園のトイレとしては最高ランクだ✨





母

日本三名園のクイズ覚えてるかな?
偕楽園、〇〇園、△△園

次女
次女

茨城県 偕楽園(かいらくえん)
岡山県 後楽園(こうらくえん)
石川県 兼六園(けんろくえん)

母

さすがだね!
江戸時代に造園された大名庭園だよ







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