弘道館

旅行

旧水戸藩の藩校である弘道館。

1841年(天保12年)に仮開館、15年余りの歳月を経て1857年(安政4年)に本開館式を迎える。

敷地面積10.5haと広大で、全国一の規模を誇る藩校。

旧弘道館は国の特別史跡に指定され、その中の一部の施設は重要文化財となっている。


弘道館




水戸藩は1609年(慶長14年)徳川頼房が水戸に入封して成立。

頼房は徳川家康の第11子。

初代 頼房~第2代 光圀の時代にかけて水戸藩の礎が築かれる。

城下町の建設や藩の支配体制などが整えられた。

光圀の命で行われた『大日本史』の編纂事業も関わりの深い場所。

弘道館は水戸学の舞台として、水戸藩の教育の場となる。




弘道館


「諸役会所」と呼ばれる来客の控室。

控室とても広いね。

大床に掲げられているのは「尊攘」

幕末のスローガンとなった「尊王攘夷」のこと。

藩医が書いたものらしいが、力強く印象に残る立派な字だ。

 

弘道館







弘道館は、第9代藩主 徳川斉昭が行った藩政改革の重要政策のひとつとして開館。

1838年(天保9年)に斉昭の名で公表された『弘道館記』には

「文武一致」「神需一致」「忠孝一致」「学問事業一致」「治教一致」が示されている。

斉昭は独自の発想で建物を配置して、5つの建学の精神を表現する。

学校御殿(正庁)をはさみ

南北に文館(ぶんかん)と武館(ぶかん)を置いて「文武一致」

聖域に鹿島神社と孔子廟(こうしびょう)を併置して「神需一致」

敷地の中央に弘道館記碑を治めた八卦堂(はっけどう)

他にも天保14年には藩の医学教育・医療機関の中枢として医学館を開所。

天文台も設けて広い分野の学問が学べるようにした。

調練場、馬場、矢場、砲術場などの軍事訓練施設も設けて有事に備えた。

当時の水戸藩の財政は苦しい状況だったよう。

しかし、斉昭は優れた人材育成のために藩校に資金を注ぐ。





弘道館




次女
次女

広いお部屋が連なっているね。
机を並べて大勢が勉強してたのかな。

長女
長女

寒そうなお部屋…。
茨城の冬は厳しいから、ふるえながら勉強したのかな!?







弘道館への入学対象者は、藩士とその子弟。

15歳までは家塾で素読(そどく)を学ぶ。

素読というのは漢文の音読のような学習法。

15歳になると家塾の教師が保証人となって入学願を提出。

『論語』や『孝経』などから出題される講読(こうどく)の試験を受験。

無事、合格すれば講習生として入学が許可される。

購読というのは解字・読み下し・解釈を通して文書を読み解く学習。




弘道館





弘道館は、学問と武芸の両方が重視される。

学問では儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽など。

武芸では剣術・槍術・柔術・兵学・鉄砲・馬術・水泳など。

一流の特別講師が招かれ、非常に幅広い科目を教授した。

医者を養成する医学館では、医学を学ぶだけでなく医学の普及にも尽力。

種痘や製薬も行われ、医学の発展におおいに貢献。

現在の総合大学のような役割。




弘道館



弘道館の庭。

授業の合間にこの庭で休息をとったのかな。

敷地には800本の梅が植えられたので、花が咲くと更に美しい景色なのでしょう。

梅で有名な偕楽園は、心身保養の場の為に造られたわけだが、それもそのはず。

弘道館での修行は厳しく、月2回の試験の他に年1回秋の文武大試験がある。

文武大試験は藩主自らが立ち合い、成績優秀者は表彰される。

多いときには1000人位の生徒が在籍し、独自の教育は他藩にも影響を及ぼした。

弘道館では「学問は一生」という考え方から卒業はない。

40歳以上になると通学は任意とされるが、それまでの者は通学が義務。

家格と実力が合致するために、身分別に最低出席日数が設定される。

毎月8日間、10日間、12日間、15日間と定められ、身分の高い者ほど日数が多い。





弘道館


弘道館の正門。

この正門には銃弾の跡が残っている。

明治維新の際、水戸藩は改革派の天狗党と保守派の諸生党が対抗。

明治元年には弘道館戦争と呼ばれる激しい戦闘が行われた。

弘道館の建物や重要な蔵書などが焼失。

このとき、弘道館で謹慎していた徳川慶喜は静岡に移っていたので無事だった。






弘道館



畳の縁の柄が葵の御紋。

最後の将軍 徳川慶喜が謹慎をした場所として弘道館は有名。

しかし、それ以上に徳川斉昭の功績がよく伝わる展示となっている。

幕末の激動を経て、1872年(明治5年)の学制発布により弘道館は閉鎖。

10.5haのうち約3.4haの区域が旧弘道館として国の特別史跡として残された。


次女
次女

葵の御紋の畳、うちにも欲しい







弘道館



あの徳川さんたちも使用した!?お手洗い。

落ち着く雰囲気のお手洗いだったよ。





弘道館


あの徳川さんも使用したであろう小便器。

立てかけてある板が大事なのだろう。




弘道館


手洗い場。




弘道館


湯殿。

いわゆるお風呂場。

浴槽はないけど、中央に向かって大きな板が傾斜されている。

中央の窪みから排水される仕組みで、修行後の汗を流したのだろう。







弘道館



建物の展示のみならず、多くの資料展示もあるので見どころ満載。

「徳川慶喜が謹慎していた場所」というとブー子とミー子も実感が湧いたよう。

解説ボランティアが入口に待機しているので、解説を聞きながら観覧すると理解がより深まると思う。







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